他人に言いたいことを言える人間になりたい。
他人に言いたいことを言える人間になろうと思ったら、
自分が肉体的にも精神的にもつよくなるしかない。
たとえば、
タバコを歩きたばこしている人がいるとする。
注意したら逆上して自分に危害を加えてくるかもしれない。
だけど、格闘技をやっていて暴力に耐性をつけておけば、
危害を加えてこようが大した恐怖ではなくなるから、
こいつマナーが悪い奴だとおもったらすぐに注意できる。
結局何事も他人に強く言えない人っていうのは
やり返されるのを怖いと思っているだけ。
やり返されたって死ぬわけでもないし、痛いだけ。
その痛みに慣れてしまえば、他人に何でも言えるし、
相手を恐れて言いたいことを言えなかった自分を悔いなくても済む。
後、人間というのはみっともない生き物で集団だと強気だが、
一人になると弱気になって言いたいことも言えなくなってしまう。
そういう人は日本では多数派を占める。
自分は弱くてコンプレックスまみれで情けない。
僕自身も力に怯える多数派の人間だった。。
僕は割と、18歳くらいの時はネットになんでも書いてしまうたちで、
DQNの悪口をネットに書いたら、DQNに特定されてしまい、
DQNが30人くらい集まってきて、
俺に謝れと言ってきたのだ。
その時、周りにいた友人たちも悪口を言っていたのに、
おれは言ってないとDQN側に寝返って、僕は一人になってしまい、土下座して謝った。
その時の屈辱は今でも忘れないし、かっこ悪くて仕方がなかった。
当時のトラウマができてから他者に頼らず
一人でもなんでも言える強い男になりたいと思って空手を始めた。
フルコンタクト空手を始めると、入会して2か月くらいに後頭部をけられ、
3か月で顔を思いっきり蹴られるなどして組手が恐怖になるほどの連続だった。
4年くらい続けるうちに暴力ってこんなもんなんだと思えるようになったけれど、
まだ本当に自分が他者に言いたいことを言える人間になったかはわからない。
だけど、空手は本当に楽しくない。
毎日稽古にいくたびに痛い思いをするし、
組手でスタミナが切れてきついし、
強くなりたいと思っていないと続かないもんだなと思った。
でもまだまだ自分は弱いと思うし、コンプレックスまみれの人間。
今は空手をやめて一年たって、
恐怖や痛みからかけ離れた生活をしている。
その生活から離れて思うのは痛みと
恐怖というのは自分を今生きているという感覚にしてくれるし、
辛くてしんどいのを乗り越えているのが
毎日続くというのは自分を成長させてくれるしいいものだと思う。
そう思うと空手じゃなくてもいいから総合格闘技とか始めようとも思う。
なんだかんだ、空手を辞めて1年離れて思ったのは、
自分が弱いというコンプレックスというのはなかなか解消されないし、
日々きついことを経験することで、コンプレックスの度合いが薄くなるだけ。
だからまた格闘技を始めてそのコンプレックスを薄くしていくしかない。
一つだけ言えることは他者を威圧して物事を解決しようとするやつには屈したくないだけだ。
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最後に、
ネットでは好き放題言えるのにリアルでは何も言えないというのは本当にかっこ悪い。
僕はそういうかっこ悪い自分を変えたいから空手を始めたといっても過言ではない。
僕自身がネットでは強気でいいたいことを言っていたけど、
リアルでは何も言えないで謝罪した過去を持っているだけに、
ネットで強気で発言しているやつは、
リアルで自信がないからリアルでは他者に言いたいことが言えずに
その鬱憤を晴らすために、
ネットで暴れているだけの奴なんじゃないかと思うし、
過去の自分と重なり合わせて思うことが多い。
本当に強い人間は自分の発言に責任を持つし、
絶対に攻撃されない匿名という安全地帯から
人を誹謗中傷しようとは思わないからね。
ネットでも画面の向こう側にいるのは人間。
言いたいことがあって考えを変えてほしいなら
実名でいうのが筋。
ネットで暴れている人間を見ると
18歳の自分を見ているようでなんだか悲しくなってくるのだけど。