高学歴ってなんなんだろう。
高学歴といえば東大、京大、早稲田、慶応という大学。
でもなんで高学歴なのか?という理由なんてほとんどの人が考えたことがないだろう。
僕もつい最近まで理由なく東大こそ最強だと思っていた。
そしてあるとき、自分が東大に行きたいと思っていた根本的な理由について振り返っていたら
高校時代は東大にただ偏差値が高いから行きたかったということを思い出した。
なんだかんだ皆僕も含めて大学にどんな教授がいるのかどんな教授に学びたいのかなんて関係なく、
ただ河合塾が出したクソくだらねえ偏差値という数字で大学選びをしている。
その偏差値だけをみてFランク大学は馬鹿ww、東大京大以外はくそwww
と発言したりしてしまう。
でもそれって東大京大以外の大学で働いている教授が東大京大の教授より劣っていると
いうことにもつながりかねないしすごい失礼で品性にかけたことだと思う。
東大で教授できるのだって東大にコネがあって雇用されただけであって
本人が特別優秀だったというわけでもない。
現に日本の場合だと東大以外からノーベル賞を受賞する教授がでているわけで、
東大ではない大学でも相当優秀な教授がいる。
偏差値に支配されて大学を選ぶと東大、京大以外にいる優秀な教授から
教えを乞うこともできなくなるし、自分のやりたくないことの学部に入学することだってある。
そうならないためにも学生のうちからやりたいことはなんなのか、
どういう教授に学びたいのということについて大学入学前から考えたほうがいい。
河合塾の出した偏差値に支配される学生たち。
世間では河合塾の偏差値=高学歴という流れになっているため、
どの大学も偏差値を上げるために受験教科を減らしたり、一般受験の数を減らして、
偏差値を上げるために躍起になっている。
その吊り上げられた偏差値だけで行きたい大学を選択する学生。
こんな事態が起きているのは河合塾が偏差値というクソくだらないものを発表するから。
いっそのこと偏差値なんてなくしてしまえば、みんなやりたいことのできる大学や
自分の行きたい大学に行くことができると思うんだよね。
しかも新興大学は志望者がすくないため、偏差値が低く出るけれど、
そこで働いている教授のレベルか他の大学の教授より低いかといわれればそうでもないし、
学べる内容も新興大学らしく、特色があり、独自性があるもので魅力的なことが多い。
でも偏差値が低いからバカだあほだとののしられてしまう。
そういう状況をなくすには偏差値というすべての元凶を作り出した河合塾がつぶれるしかない。
河合塾がなくなっても学校で勉強できるしだれも困らないんだよね。
河合塾で雇用されている人はすごい困るけど。
東大京大だから高学歴?
東大京大だから高学歴と鼻にかけている人がいるけれど、
それって河合塾の偏差値が高いから素晴らしい大学だと思い込んで大学をを受けて合格して卒業しただけでしかない。
しかも世間も東大京大がなぜすごいのかと聞かれても偏差値が高い。。という返答しか返せない。
偏差値制度の制度のせいでいかに偏差値の低い大学がノーベル賞を受賞した教授をだしたとしても、
大学側が偏差値操作しなければ偏差値が低いままで優秀な大学だとは思ってはくれないし、
偏差値の高い受験生も河合塾の偏差値だけでしか大学を判断しないので、
大学にどれだけ優秀な教授がいても受験生からは、見向きもされないのである。
僕も名古屋に住んでいるのだが、地元の名城大学はノーベル賞を受賞した教授がでてくるなど、
早稲田、慶応、東大、京大よりも優秀な教授がいるというのに偏差値は圧倒的に低いので、
名城大学は世間だと高学歴という大学の扱いは受けていない。
それに対して慶応、早稲田はノーベル賞を受賞した教授がいないのに
偏差値操作を続け、こう偏差値を維持して高学歴といわれている。
上記の事実から考えてみると、世間でいう高学歴とは、
ノーベル賞を受賞した教授がいようが、河合塾の偏差値が低ければ低学歴。
結局はみな偏差値に支配されて大学の中身を一切みず、
高学歴だ、低学歴だうんぬんを発言しているにすぎない。
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最後に、
日本ってすごいおかしいよ。
偏差値操作すればどんなクソみたいな大学でも偏差値が跳ね上がって高学歴扱いされてしまう。
しかも偏差値の高い大学の教授が何の成果も出していなくても、
偏差値が高いというだけで優秀な教授とみなされてしまい、
優秀な教授がいるすばらしい大学と世間から思われてしまう。
そのせいでノーベル賞を出している大学の評価は偏差値が上がらない限り一向に高まらず、
ずっと低いままの扱いを受けてしまっている。
もっと大学の評価というものを偏差値以外のもので測るべきだと思うし、
中身だけで大学を判断するなら偏差値なんてものは廃止したほうがいい。