献血は強制するものではないという意見。
献血を強制すると人権侵害、ナチスだ云々いう人もいるが、
献血に行けるの行かないことで、
救えるはずの命を助けることができないという現実がある。
そういう現実があるのに自分の体調が悪くなるから行きたくない、
痛いから行きたくないと御託を並べて行かない人間に僕はなりたくない。
献血は善意でするものだ、人におしつけるなとエラそうに言って献血にいかない人間より、
献血に行って人の命を助けている人間のほうが優しいし他人のために無償で動ける人間である。
前の記事で刑務所で献血をするべきだと書いたら、批判意見が来たが、
強制だろうが、なんだろうが、献血すれば一つの命が救われる。
下らねえ倫理観とか人権なんて興味はない。
命が救われるという事実のみが大切なのだ。
そして、
血がもう少しあれば助かっていたという人が、
自分が献血に行かないせいで血液を不足で命を落としてしまうという現実が起きてしまう。
そうなると周りの家族は悲しむし本当に辛い思いをする。
僕自身、同級生を自殺で亡くしてから、
人がなくなるということは周りの人も辛いことだと理解したので、
自分が献血に行くことで涙を流す人が減るなら、
400ミリリットル献血に年3回行くという決意をした。
後、献血に行かないで倫理どうこう言っている人たちは、
自分が献血に行かないということを正当化するために、なんだかんだ理由づけをしたいだけ。
強制だろうが、なんだろうが、献血をすることで人が救われるという事実は変わらない。
一個人が不快な思いをすることよりも人ひとりの命が救われることのほうが価値がある。
自分がすこし辛い思いをするだけで人が救われるし、救われた人の家族は泣かないで済む。
そういう現実があるのだから、献血に行くことは正義なんだよ。
刑務所の囚人に献血をさせることは人権を無視しているというけれど、
人権と人の命どっちが大切なんだと僕は聞かれたら人の命だと答える。
人の命というのは失われてしまったら二度と元通りになることはないし、
戻ってきてほしいといくら願っても戻ってくることはない。
それだけ重要なもの。
たかが、血を抜かれるくらいでいたいから嫌だ、体調が悪くなるから嫌だといって、
人の命を救えるという現実を見捨てる人間の人権ってなんなんだよ。
後、強制といっても献血のできる状態じゃない人はしなくてもいいし、体調が悪いときはしなくてもいいし、
体調のいい時やればいいんじゃないのといっているだけだ。
最後に、
人権云々といって誰かを助けるために行動しない人間よりも、
自分を犠牲にしてでも人を救う人間のほうが、信頼できるし、人として尊敬できる。
僕はどれだけネットで批判されても献血にはいくし、
献血に行くということは正義だという考えを変えるつもりはない。
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