意識高い系のテンションについて考えてみる
私はいつか成功してやるとか俺ならなんでもできるとか
いろいろツイッターとかフェイスブックで発言しているけど
そんな意識高いこと言っても疲れるだけだから言わないほうがいいよ。
ツイッターで発言しても一円にもならないし、頑張ろうとか
やればできるか24時間考えてたら、考えてるだけで疲れる。
最近
僕の高校の同級生なんてわざわざフェイスブックで
他社からヘッドハンティング似合ったと書き込んでいるけど、
それも自分がヘッドハンティングに合うような人材で優秀だと
皆に自慢して認められたいからの書き込みだし、
意識高くておれは優秀だと皆に承認してもらいたいのだろう。
それだけ仕事ができて意識が高いならどんどん高見に走っていくのだろうけど、
遊ぶ時間がないので人生をたのしむことはできない。
でも彼にとってみれば仕事で金を稼ぐ=承認欲求を満たせるなので満足なのだろう。
結局意識高い系の人は承認欲求を満たすことが自分の幸福度なので、
遊ぶとか人生ぬるくいきるとかに幸福を感じる人間とは真逆なのだろう。
個人的に思うのは
人に能力が高いと認められても自由がなければ幸せにはなれないし、
所詮激務高給ってお金つかうくらいしか楽しみはないし、
物欲がない人からしたら地獄みたいな環境だと思う。
お金をいくら稼いでも人は幸せにはなれないけれど、
お金がないと遊べないので不幸だとは思う。
最後に
意識が高くいきると達成しなければいけない壁がとても大きくなるので
達成できないと俺の能力ってこんなもんなのかと思ってしまいかねない。
そうならないためにも人生成功するとかそういうことを一切考えないで
適当に生きて適当に頑張ればいいと思う。
逆に意識高すぎると無駄に考えて行動できなくなると思うんですよね。
なんも考えてないバカのほうが行動できたりしますからね。
僕も東大生はこんだけ優秀だという記事を見て思ったのは
この人たちより上に立とうとして意識高く生きると
努力しなければならないし努力でかてないかもしれない。
努力しても勝てないやつらに勝利しようと思って生きるのって
精神的にも負担があるしきつすぎるでしょ。
だからそういう人とは別次元に住んでいるくらいに思ったほうがいいかもしれない。