正義の味方になりたいなと思って常に思っている。
僕自身人にいじめられたり、他者に嫌なことをされたことはあるが、
相手を恨んだりは一切していない。
正直嫌なことをされて思ったのは、自分は人の嫌がることをする人間にはなりたくない。
そう思った。
まだ僕自身、他者に誇れるほど優秀な人間でもないし、
行動力もそこまでないので正義の味方になる活動もしていない。
唯一しているといえば400ミリリットル献血である。
僕みたいになにも持たざるものは募金か献血くらいしか
人の役に立つということはできないし、
募金だと自分以外の誰でもできるわけだから、
人助けをしている気持ちにはならなかったりする。
結局大多数の持たざるものが人の役に立とうと思ったら献血しかない。
献血に行ったからお前は素晴らしい人間だといわれることもないし、
だれかに直接感謝されるものではないので、
献血に行くときはいつも俺がいったおかげで一人の命が救われたと
自分に言い聞かせ、自己満足に浸っていたりする。
最近思うのはこれだけ宗教を信じている人間が日本にたくさんいるのに
血液が足りないというのは宗教というのは自分が救われるために
信じるものであって他者を救うために信じている人が少ないという現実だ。
ほとんどの宗教が他者を救うために何かをしなければならないと書いてあるというのに、
自分が苦しい思いをすることはしたくないと思い、行動に起こさない人間が多い。
多分そうなってしまうのは、人というのは生まれたときから優しい人間は優しいし、
糞みたいな人間はクソだと決まっているからだと思う。
献血なんて行きたい奴がいけばいいという意見もある。
僕もそう思わない。
献血に一度いくと無償で見知らぬ者を助けるために行動し、そのうえきつい。
世の中で人間にしかできないことをやるということがこんなに大変なのか。
他人のために動くって思っているより大変だ。
自分が献血行くことで誰かが救われてよかった。
そう思うことが多い。
最後に献血が流行らないのは血を抜かれた後割と体調が悪くなるし、元気がなくなる。
それでも人を救いたいと思って行動しているひとがいるから
交通事故にあって血液が足りなくなって死ぬかもしれない人が救われているし、
自分が交通事故にあったときに人に血を分けてもらうありがたみがわかる。
そろそろ前の献血から3か月くらいたったから行かないと。