刑務所では単純労働より献血を課すべきだろう。
刑務所で単純労働をしたところで更生することなどないし、
ただいやいや働いているだけで、
だるい、面倒くさい早く終わらないかなあとくらいとしか囚人は思っていない。
そんな無意味な単純労働を課してもなんの意味もないんだから、
囚人には献血を強制させて、自分の肉体を削って人を助ける献血をさせれば、
他人のために無償で動くということがどういうことかわかるだろうし、
真の善とはただ人につくすだけで見返りなどないということを理解させれば、
刑務所から出た後に自分の利益のために行動する人間ではなく、
他人のために動ける人間になることができるのではないだろうか。
僕自身も献血をしてから
自分の体を犠牲にすることでしか救えない人がいるんだなということを理解できたし、
自分がしなければ死んでしまう人がいると現実があるので、
献血にはいかなければならないという義務感もでき、
献血に行く前は自分さえよければいい人間でしたが、
した後では多少なりとも人のために何かができる人間に慣れたと思います。
僕が献血することでこれだけ意識が変わったのですから、
犯罪者に献血をさせれば、
他人のために何かをできる人間になれるんじゃないのかなと思います。
献血は自分の体にもろにダメージを受けるので、
無償の善とはなにかが一番体験できるので、
どんな人でも一度やるだけでやる前の何倍もいい人間になることができます。
こういうことをいうと自分の意思でやらないと意味がないという人がいますが、
献血を強制的にやらせることで人を救うというのはこれだけ大変だし、
自分がこんなに大変な思いをしたから
救われる人もいるんだよということを理解することができます。。
逆に苦しくないボランティアなんていくらしても
自分以外の人間が有り余るほどボランティアをやっているし
身体にダメージがないので、究極の善とは言えないでしょう。
献血に行くとボランティアで救えない層、
血がないと死んでしまう層を救っていると実感できるので、
自分が大きな苦しみをうけても誰かのために、行動できる人間に成長できる。
最後に、
犯罪者は他人のために動くことをせずに自分を優先して他者を蹴落として
いきてきたから刑務所にいるわけだから
献血という究極の自己犠牲を経験して人にやさしくできる人間になるべきである。
そういう人間にならない限り刑務所からでても再犯を繰り返すだけである。
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