一番になりたい病。

一番になりたい病。

イチローの流儀 (新潮文庫)
僕は才能もないのになんでも一番になりたいと思っているタイプだ。なぜ一番になりたいと思うようなったかというと、子供時に、お前どんくさいなとか取り柄がないと同級生に言われてきたからだ。その体験をしてから自分がいかにダメな人間なんじゃないかと思うと同時に、自分をダメな人間だと認めたくないから他者に絶対に負けたくないという気持ちがより一層強くなった。

子供のときから他者にお前友達いないだろとか言われて僕は人間的に価値がないのかと思ったり、威張っているやつに虐げられた人生を送っていた。その時から威張っているやつには力でも勉強でも負けたくないと思っていたが、何もできずじまいで本当に情けなくて、くやしいという気持ちをいつも心に秘めていたのは言うまでもない。

いろいろ他者に見下されてバカにされて悔しい思いを子供のときからしてきたせいで誰にもまけたくない気持ちが強くなってしまっている。そのせいで、自分より優れいている人やリアルで充実している生活をしている人を見るたびに嫉妬心が膨れ上がってしまう。そしてリア充を見るたびに俺の方があいつより優れているはず。くそおおおおお、もっと人生頑張らねばという気持ちになってしまい、精神的に疲れる。そうならないためにもそろそろ他人に負けたくないとか一番になりたいという気持ちを捨てるべきなのかもしれない。

他者を気にしても精神的に疲れるしいいこともないし人間的に成長するわけでもないのに人はなぜ嫉妬してしまうのだろうか。多分、衝動的に嫉妬しているので自分で嫉妬しても意味がないということを本気で理解しないと嫉妬しなくなることはないだろうね。

 

嫉妬するということは相手に負けていることを心の奥では本当は認めているけど、どうしても認めたくなくてその葛藤の中で苦しんでいるということ。嫉妬して生きるのは正直楽しくないので、嫉妬しないためにもあいつには勝てないけど俺は俺、他人は他人、他者なんてどうでもいいと思って他人を気にしないで生きていけるようにしていかないといけない。
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最後に、
僕にどんくさい、取り柄がないといった人間も俺はお前より上だと思い込みたくてどんくさい、取り柄がないといったのかもしれない。人間というのは他者を自分より下だと決めつけて安心したい部分がある。でも下を見つけておれはお前より上だといったところで成長はしないし、上を見て自分より優れた人間にお前には負けないと直接言うほうが成長につながると思う。

最近思うのは他者よりいくら優れていると自分が思おうと毎日自由で、遊ぶ時間がなければ人は幸せにはならない。他者に対する関心をなくして、自分が幸せならそれでいいと思って生きていくのが一番楽。周りの評価、負けたくない、勝ちたいということが人に悩みの種を作らせて、幸福な人生から程遠い人生を送らせてしまうのだ。その心理に気づいてからは他人は他人。極力、ストレスレスに生きれれば俺の人生は一番になれなくてもいいやと思うようになった。

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